お寺のことで、よく分からないことはたくさんあると思います。
僕自身、よく分からないことや、クエスチョンマークがつくようなことはたくさんあります。
なので「お寺の疑問」というシリーズで、自分が理解を深めるためにも、色々なお寺についてを書いていこうと思います。
まず1回目は、多くの人が関係あるであろう檀家制度です(^^)
代々その地域のお寺さんの、檀家さんだというお家は多いと思います。
江戸時代にこの制度ができて以来、たくさんのお寺は檀家さんの協力で成り立ってきてるはずです。
ではそもそも、檀家制度は何故生まれたのでしょうか?
江戸時代に遡ります。
当時キリスト教の布教活動が活発化していました。
江戸幕府はその影響力に脅威を感じていました。
そこで幕府は1612年に「慶長の禁教令」といって、教会を壊し布教を禁止する令を出しました。
そこから外国からの脅威としてキリスト教は大弾圧されます。
キリス教排除を政治的にすすめる幕府は、仏教を国の宗教にします。
その時に民衆がキリスト教ではない事を証明するために、地域のお寺に保証してもらいお寺からその証明書をもらい幕府に提出する事が義務付けられました。
これを「寺請制度」と言います。
それから何かにつけて、自分が仏教徒であるという証明が必要となりました。
当時お寺は、今でいう役場のような立ち位置だったのだと思います。
証明書を出してもらう変わりに、そのお寺で葬式をあげたり、寄付をするという契約のようなものが結ばれていたのだと思います。
これが今の檀家制度へと繋がっています。
そもそも「檀家」という言葉は、旦那(サンスクリット語という昔のインドの言葉で「ダーナ」という「布施する者」)という言葉が元になっています。
それが江戸時代に、皆どこかのお寺のダーナになる事が義務付けられたようなものです。
それが親から子へ「これは義務だからちゃんとせなあかんよ」といのが代々受け続がれてるのだと思います。
今で言えば親が子へ「税金はちゃんと払わなあかんよ」という感覚でしょう。
明治に入って政府機関が完全に変わり、神社(神道)を国の宗教にするために今度は仏教が弾圧される形になります。
これを廃仏毀釈(ハイブツキシャク)と言います。
その時に厳格な寺請制度は事実上なくなりました。
しかし江戸時代に仏教が民衆化する流れがあり、仏教は人気だったので仏教はなくなるに至りませんでした。
檀家としてそれまでの関係は残りました。
その時に檀家の人たちに、お寺は大変支えられたのだと思います。
そして今2019年、檀家制度は崩壊に向かっています。
実際檀家制度を廃止するお寺も出てきています。
これは良い悪いの問題でなく、時代の転換期にどう考えるべき話なのかという事です。
そのためにまずは、檀家制度がどういうものなのか知ってもらわなくてはいけないと思い書かせていただきました。
「もう古い制度だからなくせば良いじゃん」と思う方もおられるだろうし、「たくさんの人の思いが乗ったことをそんな簡単になくすのは違うだろう」と思う方もおられると思います。
これは檀家制度だけでなく、古くなったシステムというのはたくさん存在します。
次の代、僕らの孫世代、その次の代のことまで考えてこれらをどうしますか?