2016年6月20日-11月30日まで募集した受賞作品
但馬の資源を見つめ直し、新しい地域づくりを目指すなかで、毎年恒例となった「桔梗吟行のいざない」として、「遍照寺の桔梗・矢田川流域・ジオパークの吟行」を呼びかけ、昨年も俳句の募集を行いました。たくさんの応募を頂き、第三回の入選作品が決まりました。
入選作品一覧
桔梗大賞
慈しみ 守られて咲く 桔梗花 作 増田 節子 豊岡市
選評 寺領を占める桔梗の花は、季節が巡ってくると開花し訪れる人達を癒してくれます。
石の上にも三年と申しますが、桔梗俳句大会も三年目を迎えいよいよ清浄な桔梗の花の世界を広げています。自然の力にもよりますが、やはり、御住職を始め檀家の人達など、いろいろな人達の手入れによって咲いており、訪れる人達も含め、慈しみ守られているのです。作者が感じた気持ちをありのままに表現した、挨拶句として優れた一句です。
一席
桔梗咲く 順路に水の 仏道 作 川戸 節子 豊岡市
選評 桔梗寺を訪れた人には、この句の情景が理解出来ると思います。寺苑はよく整備されてどの小径を歩いても桔梗が咲いています。中心の池のほとりに句碑が建ちその池に注ぐ小流に沿って歩むと又一基句碑が建っています。仏に導かれていくような感じが良く出ています。
空晴れて 桔梗の藍の 極まりぬ 作 和田 康 奈良市
選評 空の青さを映したかのように桔梗の藍色が深くなっています。曇天では花の容も色も精彩がありません。「極まりぬ」ときっぱり叙して力強い句になりました。
蕾には 祈りぞ満つる 桔梗寺 作 一居 明子 神戸市
選評 桔梗の蕾も花も乱れがなく端正である。その端正は清浄であり清廉である。その桔梗が咲き乱れる寺への畏敬である。衆生の祈りが満つるがいい。
峰寺に 増えゆく句碑や 桔梗濃し 作 白井 貴佐子 赤穂市
選評 年々、遍照寺という峰寺の境内に句碑が増えてゆく。既に二基建立され、今年も更に一基加わって三基となる。何事においても増えるという事は目出度いこと。桔梗を機縁として、句碑が増え続ける。まことに目出度い限りである。
つゆあびて かがやくききょう うつくしき 作 吉田 未咲 香美町
選評 皆ひらがなである。聞けば小学生のようである。素直な自然観がいい。俳句を意味で考えるより見たことを感じたことを素直に書き留めることだ。伝統ある文芸に興味を持って続けてほしいものである。
丹精の 庭に風呼ぶ 桔梗花 作 井元 泰子 京丹後市
選評 強弱二通りの風が想像できますが、やはり桔梗花を優しく揺らす「微風」がこの句には相応しいと思います。
澤井 洋子 選
一願の 水澄みわたる 桔梗寺 作 仲 加代子 三田市
選評 澤井 洋子氏 何か期することがあって桔梗寺を訪れました。作者の心境を表すかのように澄んだ秋の水が寺領を流れています。「澄みわたる」という惜辞がこの句を引き締めており、個性の強い一句となっている。
岡部 榮一 選
空蝉の こぼれて静か 桔梗寺 作 稲垣 勝子 市川町
選評 岡部 榮一氏 夏の朝庭に落ちている蝉の殻。日が昇れば一斉に鳴き始める蝉であるが鳴き始める前の静けさである。山間の朝涼の一刻の桔梗寺のたたずまいである。その短い命によせる心情でもある。
小杉 伸一路 選
人迎ふ 心に桔梗 咲き継げり 作 深澤 美佐恵 赤穂市
選評 小杉 伸一路氏 桔梗の花が人々の訪問を心待ちにしているのである。それも沢山の桔梗が毎年咲き続けて、訪問を待ち続けるのである。
今回の募集では、仏教色の強い句が多かった。しかしこの句は純粋に、桔梗の心だけを描いて見事である。
ジオパーク特別賞
舵を取る 女船長 雲の峰 作 藤澤 みか子 神戸市
選評 香住港の三姉妹船長の運航する観光船は、美人揃いで説明も楽しく、女性らしく安全・丁寧な操船で有名であったが、惜しまれながら昨年秋に廃業された。この句はその記念に残したい。香住港から雲の峰を見るたびに思い出す事だろう。
国人の 南無の声きく 白桔梗 作 小倉 三佐代 神戸市
選評 国人(クニヒトの音便)その土地に住む人達の祈りを白桔梗は聞き届けてくれている。
園丁の 一人は若し 桔梗の芽 作 長浜 好子 朝来市
選評 桔梗の庭で見掛けた園庭は若人であった。桔梗の芽のように溌剌としている。
遍照寺の 庭の主や 桔梗花 作 嶋田 静子 三田市
選評 桔梗で埋め尽くされた遍照寺の庭。今や桔梗が主である。ちょっとシニカル。
膨んで 明日待つ蕾 白桔梗 作 猪谷 信子 赤穂市
選評 桔梗の蕾の理には適っているが不思議な形。明日はきっと咲く白さ。
満たされて 解く心や 桔梗花 作 尾嶋 八栄子 篠山市
選評 頑なな心が桔梗の花によって満たされ、解放されていく。
在りし日の 面影しのぶ 桔梗かな 作 岩本 八重子 三木市
選評 在りし日の人の面影とは桔梗が好きだった人。桔梗のような人、桔梗の繋ぐ縁。
山寺の 水の匂ひの 桔梗かな 作 高橋 久美枝 朝来市
選評 山寺の特徴、そこに咲く桔梗の特徴を「水の匂い」と具象化しているのがよい。
選評 息を止めるとは身の内へ神経が集中する。心音と白桔梗は仏に生かされている。
仏縁の 斯くも清しく 花桔梗 作 北山 美幸 朝来市
選評 桔梗の花により色々の人達と縁を得た。仏縁の清しさ、俳縁の清しさにも通ず。
白桔梗 勿体ないと 白寿の母 作 竹下 登 豊岡市
選評 白桔梗のまばゆい白さに思わず「勿体ない」と言う白寿の母の敬虔な姿。
向き合へば 澄み行く心 花桔梗 作 片岡 橙更 神戸市
選評 私は個人的にではあるが、桔梗花という表現を好まない。花を「ばな」と発音すると、「ば」という音が耳障りだからである。ところがこの句は、花桔梗と澄んだ音で詠まれた。この音が澄みゆく心という言葉と美しくマッチしているのだ。
落鮎や 但馬訛りの 風心地 作 西村 靖子 香美町
選評 鮎は産卵のために川を下る。釣り人の但馬訛りで交わす挨拶に秋風が心地よい。
秋潮の 寄せる旧跡 平家の地 作 小島 雅子 豊岡市
選評 長い間ひっそりと住んでいた平家の地に寄せる秋潮。自然の営みは変わらない。
役目終え 遊覧船の 冬留り 作 安田 尤之 豊岡市
選評 三姉妹の遊覧船も周航を終わるという。「役目終え」という労りの気持ちがよい。
選評 代を重ねて三姉妹の女船長は活躍していました。リズムよく詠んだ一句です。
御仏の 化身となりて 桔梗咲く 作 川戸 二三代 豊岡市
選評 あまりの美しさ、すがすがしさに桔梗もまた御仏の化身かも知れないと感じた。
山よりの 引水ゆたか 桔梗寺 作 長 扶微子 香美町
選評 本堂近くにある池は常に水音がしている。意外と高い引き水の水音である。
訪ねきて 桔梗浄土に つつまるる 作 大林 玲子 福知山市
選評 沢山の桔梗に感動し一体となったことが「つつまるる」から解る。
無私となり 唱ふ心経 桔梗寺 作 島崎 すずらん 神戸市
選評 季語は「桔梗の咲く頃の寺」という意味で「桔梗寺」としているのでしょう。
吹き抜くる 風紫に 堂涼し 作 宮本 露子 西宮市
選評 緑の風とは良く詠まれるが、紫の風とは遍照寺ならではの風。客殿に憩っていると、一陣の涼風が吹き抜けた。その風を紫色と感じたのである。作者の感性が素晴らしい。
千株の 彩を深めて 桔梗濃し 作 内藤 昭子 三田市
選評 見事な情景を、たたみ込むようなリズムで詠んでいます。
艶やかに 寺の桔梗の 咲きほこる 作 黒坂 扶美子 豊岡市
選評 丹精を籠めた桔梗の花の艶やかさ。今を命と咲きほこっているようす。
村あげて 桔梗の句碑の 除幕式 作 長谷川 喜美 香美町
選評 「桔梗の句碑」を季語としているので「季感」はある。村人の期待は大きい。
無縁仏へ 紫の風 花桔梗 作 高橋 二三子 香美町
選評 無縁仏へも紫の桔梗の風は行き渡っている有り難さ。
境内に 句碑あらたなる 花桔梗 作 田村 紀子 豊岡市
選評 新たに二基目の句碑が建ち、いよいよ遍照寺の庭が落ち着いて来た。